バレエの歴史

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バレエのはじまりはイタリア

「バレエ」と呼ばれるダンスの起源は、ルネサンス期(14〜16世紀)のイタリアと言われています。
音楽に合わせてゆっくりとステップを踏むダンス「バロ(Ballo)」が、現在の「クラシック・バレエ」の原型とされ、貴族たちが舞踏会で踊ったのがはじまりです。

フィレンツェ、ヴェネツィアから西ヨーロッパへ

文化・芸術の再生、大航海時代、宗教改革など、時代の大きなうねりの中で生まれたバレエは、イタリアのフィレンツェやヴェネツィアから西ヨーロッパへと広がっていきます。
バレエの魅力が他国へ広まるきっかけは、15世紀の終わりにレオナルド・ダ・ヴィンチが開催した大掛かりな舞台の上演でした。ルネサンスを代表する芸術家がバレエの発展にも力を注ぎました。

フランスで大きく花ひらいた
バレエ文化

バレエ文化は、16世紀後半にフランスで大きく花ひらきます。
その証拠に、「バレエ(Ballet)」の名称は、フランスにおいて呼ばれるようになった言葉であり、今日まで受け継がれています。

カトリーヌ・ド・メディシスとアンリ2世の結婚

フランスでバレエ文化が発展した背景に、1人の王妃の存在があります。
イタリア・フィレンツェのメディチ家に生まれたカトリーヌは、幼い頃からバレエが大好きでした。そんな彼女の嫁ぎ先が、フランス王アンリ2世。
カトリーヌ王妃は、宮廷内で舞踏会を何度も開催し、フランス国内にバレエの魅力を広めました。輿入れからの20年間で、約800のバレエ作品が誕生したと言われています。

“太陽王”ルイ14世がバレエの地位を確立

フランスでバレエの地位を確立したのは、“太陽王”と称されたルイ14世です。
ルイ14世は自ら踊るほどバレエを愛し、専属の舞踏教師を雇う熱の入れようでした。
1669年、パリに「オペラ座」を建設。1713年には、プロのバレエダンサーを養成する「オペラ座バレエ学校」を開校し、バレエは舞台芸術として体系化されていきました。

バレエ文化にも影響を与えた
「フランス革命」

18世紀の後半に起こったフランス革命は、バレエ文化にも大きな影響を与えました。
それまで王侯貴族を中心に発展してきたバレエでしたが、庶民が主役となる「ロマンティック・バレエ」が登場。バレエの存在はフランスの人々に身近になったものの、1873年のオペラ座の火災によって勢いを失います。

バレエはロシアの地で発展・成熟

オペラ座が焼失した後、バレエがめざましく発展したのはロシアでした。
フランスの宮廷からもたらされたバレエを積極的に庇護した皇帝は、バレエ学校を創設するなどバレエ文化の発展に情熱を注いだのです。

マリウス・プティパとチャイコフスキーの名コンビ

19世紀中頃、バレエはロシアで飛躍的な発展を遂げます。
フランスから招いた振付師のマリウス・プティパは、作曲家のチャイコフスキーとコンビを組み、「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」などクラシック・バレエの大作を発表します。
その後、バレエの衣装や技術は時代とともに発展を続け、自由な振り付けや作風もどんどん増えました。
しかし、ロマンティック・バレエやクラシック・バレエの名作は、当時と全く変わらない音楽・振り付け・世界観をそのままに、今尚人々に愛され続けています。

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